「剣の修行がしたいんだが、軽く空いてる所貸してくれないか?」
ある日、フレイムがオールを訪ねて、単刀直入に言った。
余りの唐突な申し出にオールは顔をしかめた。理由を聞いてみると、フレイムはただ場所がないだけなんだよと、仕方ないんだと溜め息をついて言う。どうやら深く長々しい理由があるようだ。
フレイムは直前に「信」で来訪を知ったオールに玄関で迎えられた。オールはそう長い話ではないと踏んでいたので、奥に案内する必要はないと思っていた。しかしこのフレイムの様子を見るとそうはいかないらしい。オールはフレイムを屋内に案内した。長男はお茶を出そうとしてくれたが、フレイムは笑って断った。
「いいよ、ありがとう。兄弟なんだから」
長男・ロイアルティには、とても朗らかで、哀しい笑顔に見えた。
「…まあ、貸してやってもいいが、どのくらいの広さがいいんだ?」
客間の中央、テーブルを挟んで向かい合う長椅子の片方には、一匹の金色の狼が小さな寝息を立てていた。
フレイムは手すりに頭を埋めるようにして眠る狼の背中を柔らかく撫でた。
「どのくらい…ってかぁ…」
その狼を気遣ってか、フレイムは長椅子とテーブルの間に座った。それを見てオールも椅子とテーブルの間にあぐらで座った。
背を椅子に預けて躰を反らせると、ちょうど右肩のあたりに金色の尾があった。右手で尾を撫でながら、フレイムはあちこちに視線を移して考えている。
「そうだな、90ぐらいかなあ」
90畳、さほど広くない大きさだが、焔族にはそれほど空き地がないのか。よほど手触りが良かったのだろう、起き上がったフレイムの右手はまだ金色の長い尾で遊んでいる。
「90畳…か。地下の練習部屋が120畳だが、子供たちと来るならそれくらいの方がいいんじゃないか?」
「いや。」
フレイムは考えるそぶりを見せず短く答えた。
「俺一人分でいいんだ」
紅い眼。暗く紅い眼。少し眉間にしわを寄せて、こちらを見ている。
是非を言わせないような、近寄り難いような、むしろ神々しさをも感じた。
オールは無意識に『信』を張りつめた。
誰にも知られたくないような深い問題があるようだ。詮索するつもりはない。ただ、自分にはそれをする権利があると思っている。
「…そうか、なら…、それくらいの広さなら裏にある広場がいい」
「誰も使わないのか?…それからなるべく近くに誰も来ないようなところがいい」
「それほど頻繁に使わない。それに使うとわかっているなら誰も邪魔なんかしに来ないさ」
「そう…ありがとな」
フレイムにしては珍しく落ち着いた感謝の言葉だった。
悲しみなのか何なのか詳しい所は判らないが、それが障壁となってフレイムを包んでいる。
全く、読めないのだ。「信」が、使えない。視線は完全に合致している。もしかするとそれゆえに読めないのだろうか。
オールは今初めて、フレイムの“雰囲気”に恐ろしさをおぼえた。
そしてふと、あることに気づく。
「…そういえば、お前剣の修行って、一人でするのか?」
「一人で…そうだが?」
「剣だぞ?」
「…素振りとか」
オールは吹き出しそうになった。本気で言っているのか。
「笑わせるな。一人でやってどれほどの技術が身につくんだ。複数の相手がいてこそ出来るものだ」
「でも父上は一人整理することは必要だって言ってた」
「それは複数との修行を踏まえてだ」
たしかに。そう言いたげにフレイムは溜息をつき視線をそらした。いつのまにか狼の尾で遊ぶのをやめた右手でかりかりと紅い頭を掻く。
「……時間はあるのか?」
「いつ」
「今から」
またえらく突拍子もないことを言ってくれるものだ。まあでも今頼みに来たんだから、今から早速やろうと、そういう流れにならなくはない。
次はオールが溜息を漏らした。
そして、
「…っちょっとまて、もしかして相手って俺か?」
腕の立つ奴らを呼んできて、という考えだったのに。
あるいは向こうの者も随時招いて。そうだと思っていたのに。
「違うのか?」
「――――…」
明るかった。
声が、表情が、彼の周りにある空気が。
今までの暗い面持ちが実は演技で、兄を修行の相手に無理にでもみっちり付き合わせるために、こういう状況をわざとつくったかのように、フレイムが兄を嵌めたのだと確信してしまうくらい。
どうやらいつものハイテンションなフレイムに戻ってきたようだ。
オールは内心ほっとしつつも、盲点を突かれたことに驚きが静まらない。
久しぶりだ。こんな気持ちを味わうのは幾年ぶりだろう。
自然と顔がほころぶ。するとフレイムがおっ、と声をあげた。
「兄貴のそんな顔久々に見たよ、俺」
「…え」
「まだこーんなちびこい時。アースが赤ん坊の時ぐらい以来かな」
「それはあんまりだろう」
笑い声が響く。
そういえば、こういうふうに笑いあったのは本当に久しぶりかもしれない。
「そういえば兄貴と剣を交えるのも久しぶりだな」
にやにやと笑って見ている。
頬杖をして、躰を乗り出して、オールの顔を、初めとは違った雰囲気で見つめている。
「ああ…そうだな」
「いけるなら兄貴、たのむぜっ。久しぶりだろっ。いいじゃねえか」
参った。これは完全に嵌められたのかもしれない。
「…まっ、今ちょっとヒマだから、別にいいがな」
「おうっ。……悪りぃな…」
急に、しめっぽくふっと笑って言った。目は変わらず笑っているのに、、どこか哀しいようにも見えた。
「…いや、いいんだ」
彼のうちに眠る『信』の力が、ふと睨むように冴えはじめた。
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