しかし唯一家族の中で興味を持ったのが、アースだった。
兄四人の中でアースを最も構っていたのはフレイムだった。四人の赤ん坊が全員足で立てるようになって、走れるようになった頃では、家中で曰く「アース争奪戦」なるものが毎日のように繰り広げられていた。
アスハの家は広い。初めの頃はアースが食卓に座って、リビングの端がスタート地点だった。ある程度成長すると、家の比較的端の方にある玄関や裏口、屋外倉庫の前といった場所がスタート地点になった。ダイニングに座るアースをゴールにして、よーいどん、のかけ声で、兄四人がかけっこを始めるのである。ルートは自由。始めたのはフレイムだった。アースが”ゴール”なので、初めにアースに触れた人が上がり、というルールだった。連日フレイムは一位を独占した。
レイとアスハは笑って見守っていた。
無事オールを除く四人が伴侶と結婚し、それぞれが別々の家で暮らすようになると、そんなこともしなくなった。
もう大人になった今では、食事もそれぞれの家族で摂るために兄弟がそろうことはあまりなくなったが、五人がそろうとやはり楽しい気分になる。
(今何してるかな…)
遠く離れてしまえば、お互いが何をしてるかなどはわからない。
「あー……腰が痛い…」
アースは立ち上がると、ぎしりと痛む躰にうっ、と言葉を詰まらせた。かなり時間が経っていたようだ。新しい植物の種が芽吹いたようで、玄関前の鉢植えに思わず見惚れてしまっていた。
ごく普通の植物の双葉である。
「今中にいるかな…」
兄のことを考えると、すごく懐かしくなってきた。懐かしいと思えば会いたくなるのが普通だ。
「兄さんたちに会うのは何…何十年ぶり、かなぁー…」
久々に家の探索でもするか、と息を吐いた。あたかも巨大な城の攻略に単身挑む、騎士のような心地で、両親の家を見上げた。
城、でも差し支えないほど巨大な家である。
「…リビングダイニング、だれもいない」
まあそんな時間帯じゃないし、肩を落としてため息を吐く。ダイニングを見渡す。キッチンをのぞき込む。奥に進む。応接間、作業場、土間の掃き出し窓から外をのぞく。
この家は山の上に作られている。同じ1階でも、低いところと高いところでは高低差が4mほどある。今アースがいる土間は庭の高さから2m強高くなっている。普通の家の二階から、外を眺めているようなものだ。母・レイが畑仕事に励むこの作業場の土間の中にも50cmほどの段差があり、土間から庭の畑へは長々と続く緩やかなスロープが延びている。そのスロープを中心に、木陰以外に屋根と呼べるものの無い作業場――要するに屋外の作業場が広がり、様々な農機具や肥料・道具・設備がバランスよく安置されている。
台所と隣接する作業場が屋外とするならば、畑は無論屋外である。しかし土間やこの屋外作業場は、全体から見ると屋外のような屋内のような、絶妙な空間であった。台所から畑がレイにとって主要導線であるためか、内部と外部の境目を区切らない穏やかなグラデーションの役割を担っている、この土間である。
アースが肘をついている窓からは、レイの自慢の畑を一望できる。広い畑のそのすべてを一望できるわけではないが。
「母さんもがんばってるなあ」
そう呟く先に母はいない。
「次は父さんの仕事場にでも行ってみるかな」
1階の半分は見回ったので、2階にでも行ってみるかときびすを返した。
廊下というよりももはや階段としか言えない、しかし少し傾斜が付いた廊下を踏みしめる。2階へと続く階段を目の前にして、アースはふと足を止める。その階段とは別方向に伸びる廊下の先を見つめる。
『風、揺らぐ中に凛として――――』
おもむろに諳んじる。招来術、ある特定の魔物を呼び出す呪術である。右手で左手の甲に何かを描いて、その両手を合わせて掌の間にある空気を包み込むようにする。アースの左手の甲の上には、薄黄色に光る丸い文様が浮き上がっている。
呪文を唱え終わると、アースの掌に白い毛玉が現れた。
否、ウサギである。
一匹、二匹、三匹と次々と掌の上から飛び降りる。合計五匹の白いウサギが、召喚された。アースが使役しているウサギの魔物、『風岩兎』である。
「それじゃ、誰か見つけたら教えてね」
屈んで、ウサギたちに視線を合わせるようにすると、にっこりと笑って言った。すると、風岩兎たちは散り散りに1階の廊下を走っていった。
「2階は僕、と」
ウサギである。屋内であろうと屋外であろうと構わず走り回る。アース自身は家の中しか見なかったが、もしかしたら庭のどこかにいるかもしれない。窓から見える範囲でしか見ていない。庭の逆方向だとそもそも見ている意味は無いし、死角、たとえば木の陰に隠れて見えないこともあるかも知れない。家が巨大なら庭も巨大なので、一人の力ではどうにもならない。猫の手ならぬウサギの脚を借りたのだ。
ちなみに、この家は家の中も土足である。
それどころか子供の頃は裸足で土の上を走り回った。屋内が土足でいいなら、屋外は素足でも構わない。先ほどの土間などでは、ご飯の時間が待ち遠しくて、ダイニングテーブルに向かって座っていた裸足でためらいも無く母のいる庭へとかけだした。戻れと言われれば戻ったが、ダイニングの椅子ではなく土間の段差に腰掛けて、母の自慢の野菜をまだかまだかと待っていたものだ。母が帰ってくれば台所に移動する母の真横で突っ立っていた。料理の準備が整えばそのまま椅子に座る。床はどろどろになったが、食事が終わって綺麗にすればレイもアスハも何も言わなかった。そんなあいまいな場所が他にもいくつもあるので、子供の頃から屋内と屋外の感覚があやふやである。
「父さんの書斎に行ったら、僕らの昔の部屋に行って、弟たちの部屋にも行ってみよう。……考えるとほんと広いなあ」
あはは、と面倒に思うそぶりを少しも見せずに笑った。
階段を上りきって、また掃き出し窓の窓枠に肘をつく。ぼんやりと窓の外を見る。
「えーと、どの辺がオール兄さんの敷地かな」
オールの血族が地球上で生活している地域――オールが自身の領地として持っているのは、父・アスハの家のすぐ隣だった。他の兄弟の領地は、違う空間だったり、海を隔てていたりする。そのため、自身の領地を持つ兄弟たちが両親の家を訪れた後は、よく挨拶ついでとオールにも会いに行った。今会っても後で顔出そう、新緑の緑を眺めた。
探し人は見つかるだろうか。たった一人で宝探しをするように思いにふける。
アースがアスハの家に来た理由はたいしたことでは無い。ただ単に、時間が空いたので挨拶でもしにいこうと思っただけのことだ。それだけのために、半日もかけて地球を半周するあたりに、アースの人柄がうかがえる。
兄が今日ここに来ているという保証は全くない。しかし、とりあえず父母のどちらかに会えたらいい、むしろ個人を特定せずに誰かに会えたらそれでいい。それだけを考えてゆったりと自分の領地から足を運んできた。父母にしか会えないとしても、きっとアースは少しも落胆することは無いだろう。彼にはあっという間に思えたが、じつに20年ぶりの生まれの家である。訪れただけで、気持ちの半分くらいは満たされている。
木々の青や、新芽の緑などを見つめる。脳裏のどこかに、ちいさいころの兄弟の姿を見ている。20年経って変わった兄がいたとしても、その思い出が色褪せることはなさそうだ。ただ、会うたびにこの広大な緑の間で作られる思い出を、大切に脳裏に焼き付けるだけだ。
会えてもいい、会えなくてもいい。この地球のどこかにいるであろう家族を想った。
ちょうどその視線の先で、兄二人が激闘を繰り広げているのも知らずに。
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