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序章
 2 ロード家 / 兄弟
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 「はっ……」

 フレイムは無表情で、その紅い眼にあの幼稚さをたたえたままだ。
 例の紅いものの正体は、どうやら液体のようなものらしい。べちゃりと音を立てるわけではないが、切り込んでも切り裂いても、同じ形に戻っていく。さらに風を起こして砕いてみれば、あたかも飛沫のように飛び散り、地面や躰に付着する。目の前で切り裂いたとき、紅いそれはまさに―――そうまさにほとばしる血のように―――“べちゃり”と、オールの腕に降りかかった。散っていたそれらは、ふわりと浮いてもとの紅へと吸収される。

 フレイムはオールが『信』を使うことにもう何も言わなかった。ただ無表情に、紅い眼を見開いて踊るだけ。

 (傷はすぐにふさがる、浅い傷では決定打にならない…)

 度重なる攻撃で、オールもフレイムも深くはないが多少の傷を負っている。しかし、先ほどのように青い光を放ちながら、傷は瞬く間に消えていく。そんなことは気にも止まらないほど怒濤の攻防を繰り返しているが、激しく動いてるからといって傷が広がっているようには見えない。

 ただ、

 (フレイムの腹の傷はまだふさがらないな)

 最も斬り込んだ、腹の紅はまだ生々しく開いたままだ。戦闘中、フレイムを注視していればいやでもわかる。

 あまりに痛々しいそれに、罪悪感が沸々とわき出る。

 (……うしろッ!!)

 しかしそんな虚ろ事を、赦してくれる状況ではなかった。とっさにフレイムをはじいて、背後に回っていた紅の剣筋を読む。かがむ、避ける、紅の”左脚”とおぼしきものが、振りかぶられる。刀で受け流す、紅の飛沫、紅でかすんだ先に、刃の閃光が走る。

 「こらえろよ…」

 贖罪のように、一言つぶやいた。柄を右手に持ち替え、かがんだまま躰をずらしてフレイムの刃を避ける。立て直す前に。

 「っがッ」

 左の脇腹、右腕で肘鉄を食らわした。傷を直接狙ったわけではないが、衝撃は相当傷をえぐったはずだ。近接したフレイムと紅の間から一歩抜けだすと、さすがといったところか、フレイムの刃が真一文字に空を切る。

 立ち直りが早い。

 ゆるりと避けると、すかさず紅が斬り込んでくる。

 「…はぁっ、はあ、っはぁっ、」

 遠くでフレイムが激しく息づいている。すこしやり過ぎたか。

 …が、オールはそれをすぐに否定する。

 「いいじゃねぇか兄貴、そんな調子で次段階行ってみようか!!」

 フレイムが、吠えたのだ。およそ無事とはいえない荒い息づかいで、紅越しに、その紅よりも鮮やかな眼をぎらつかせながら、悠然と笑んだのだ。

 「なに…っ!!」

 途端、みしみしと何かが音を立てる。オールは左手の柄を握りしめる。以前立ちはだかる目の前の紅が、振りかぶる。受ける。しかし。

 「……え…?」

 それまで、刀の形を為しながら、液体のように刀の意味を持っていなかった紅の刀が、本物のように硬さを持っている。あたかも研ぎ立ての刀身のように、きらりと美しく輝いている。

 「お、もい……!!」

 ぎり、と、紅の刀を受けるオールの腕が、重みに耐えて緊張する。早く弾かねばならない。でないと、背後が今おろそかだ。弱点だ。突然の状況変化に体がついて行かない。ショックで思考回路が立ち直っていない。あまりの重さに、筋肉が動かない。

 (……くる、…く、ぅうう!!)

 ―――当分の目的を忘れてはいけない。

 父から何度も教えられてきたことを何回も反芻して、緊張で動かない躰を叱咤する。

 (動け、動け、動け、動け動け動け動け動け!!!)

 オールは目を見開いて、右手を柄に添えて、紅の刀を挽くように押し返す。いやな音が響く。紅が押されると、左手で刀を押さえたまま一,二歩と進み出す。刃の場所はわかっている。少しでも遅れれば背中に切りつけられる。

 左手で紅の刀を押し切り、右手に持ち替え、片足で地を蹴る。素早く振り返る、

 ひときわ強い金属音が響く。

 フレイムが、無邪気な笑みを浮かべて、そこにいた。

 「すげえだろ、あれ。水みたいだと思ったら外れだよ。俺の意思で好きな部位を硬くできる。腕だって脚だって、あのぺらぺらの頭だって、頭突かれたらクラッていっちゃうくらい硬くできるんだ」

 「……なんだあれは」

 やけに饒舌に語り始めたフレイムを、オールは睨みつける。それでも、交わらせては弾く、息もつかせない剣劇を繰り返す。

 「うん、あれ?おれの血」

 先のオールの問いに、何でもないことのように答える。

 「……血、だと」

 フレイムの血だという紅は、今は動かないようだ。先ほどの攻防があったところで、佇んでいる。

 「俺の血を本に、俺の躰から写し取って、俺の呪術で具体化した人形ってとこかな」

 その言葉は、わかりやすいようでわかりにくい。

 黒い剣を弾いて、フレイムは遠く飛び退く。長い攻防にやっと間が入る。オールは腕の筋肉をほぐして、深呼吸する。フレイムはそんな様子などかまわず、剣劇が楽しくてしょうがないというように、ケラケラと笑った。

 「斬っても切れない、斬ってもすぐに戻る、ときにその形を崩して、ときにその形を表す。最高だろ」

 フレイムは左手で腹に手を当てる。

 傷はふさがっていた。

 「おまえ、いつのまに、………呪術など」

 オールは、先ほどフレイムが行った言葉を反芻した。『呪術で具体化した』。そう言っていたはずだ。確かに、攻防の最中フレイムは呪術を使っていた。そのときの術がこれとは限らないが、この紅も同じようなものだと考えるのは間違いではないだろう。

 言いたいことは他にもあった。道徳的なこととか、その狂気とか、オールにはそれを理解できないむずがゆい感情がわいて出てきていた。しかし、手元の刀を意識して、思い直す。

 (今は、いい)

 あとでこっぴどく問い詰めてやろうと思った。

 「うーん、本読んでたら、ついつい。かなぁ」

 柔らかく笑って、フレイムは答えた。明るい、その様子はいつもの無鉄砲なフレイムを思わせる。修行を始める前に話していたときのような、いつもどおりの弟だ。

 (―――……一人で修行したいと言っていたのは、これか)

 ふと気づく。なるほどな、とそれまでの怒りや不信感といったくすぶりが収まったかのように、胸がすっきりした。

 父親が血をしとどに垂らしながら修行する姿など、家族は見たくないだろう。家族が知っているかいないかは別として、フレイムも、見せたくなかったはずだ。

 「ついつい、で始められるものではないぞ、呪術など」

 「やーでもまあできちゃったもんはできちゃったから」

 あははー、と変わらずフレイムが笑う。そういえば、フレイムは兄弟の中で一番本が好きだった気がする。弟妹が増えて、めまぐるしくなっていく周囲の中で、年長の五人はお互いにあまり干渉しなくなっていた。お互いが何に夢中で、何をしているのか、気づかないでいた。

 父や母ですら始められなかった――始める気がなかったのかも知れないが――呪術、という語学一つ分にも値するものを、自分の弟が造っていることなど、気づかないでいた。

 「知らなかったとはいえ、気づかなかったとは…」

 ふ、とため息をこぼす。自嘲に近かった。

 「兄失格だな」

 金色の墨花夜叉を、右手に握りしめ、構えた。

 フレイムもそれに応える。例の紅は、やはり後ろにいる。挟撃スタンスは変わらないようだ。

 「そうでもねえよ」

 右手の黒彼岸花の切っ先をまっすぐオールに向けて、笑う。

 「こうして付き合ってくれんだから」

 見慣れた弟の表情で、いたずら好きのフレイムの顔で、とても綺麗に笑う。

 「なぁ、兄貴」

 そうしてすぐにほの暗い悦に浸った、笑みを浮かべる。オールはその表情にもう不信感は抱かなかった。強さへの執着こそ異常といえるが、養う家族を想って独りで修行に励もうとする姿に、嫌悪感はもうなかった。だから地を蹴る。駆ける、迫る―――

 しかし。


 「やめなさい」


 「!?」
 「!!」

 まさに今刀身が交わろうとするところまで来ていたとき、二人の耳に凛とする声が届いた。

 その方向へ、視線をあげる。

 「剣を納めなさい、オール、フレイム」

 「……はは…うえ…」

 そこには、母・レイがいた。

 



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「我らが導よ、我らとこの世界を導き給え」